家族によると、昨年10月末に肺がんと診断され、11月から抗がん剤治療を受けていたという。
井上さんは昭和9年、山形県生まれ。上智大在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」文芸部に所属し、台本を書き始めた。39年からは、5年間続いた「ひょっこりひょうたん島」の台本を童話、放送作家の山元護久さんとともに執筆、一躍人気を集めた。
44年、戯曲「日本人のへそ」を発表して演劇界デビュー。47年に「道元の冒険」で岸田戯曲賞を受賞して、劇作家としての地位を確立した。奇想と批判精神に満ちた喜劇や評伝劇などで劇場をわかせ、59年には自身の戯曲のみを上演する劇団「こまつ座」の旗揚げ公演を行った。
小説家としても、47年に江戸戯作者群像を軽妙なタッチで描いた小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。絶妙な言葉遊び、ユーモアたっぷりの作風で多くの読者に支持され、エッセーの名手としても知られた。遅筆でも有名で、「遅筆堂」とも自称していた。
一方、戦争責任問題を創作のテーマに掲げ、東京裁判や原爆を主題にした作品も数多く発表。平成15年から19年にかけて日本ペンクラブ会長を務め、16年には護憲を訴える「九条の会」を作家の大江健三郎さんらとともに設立した。
戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊国屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)。小説「腹鼓記」「不忠臣蔵」で吉川英治文学賞、「東京セブンローズ」で菊池寛賞など受賞多数。16年に文化功労者、21年に日本芸術院会員に選ばれた。
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◆哲学者、梅原猛さんの話「『ひょっこりひょうたん島』のころから恐ろしい逸材と思っていた。井上君の喜劇はピリッとした社会風刺とユーモアに満ちていて、いつも弱者の立場に立っていた。喜劇の新しい形を作った人物で、思想の違いを超えて尊敬していた。ここ2、3年は会っていなかったが、僕も3回がんをやっているから大丈夫だろうと思っていたので、残念でならない。85歳の僕よりだいぶ若いのに…」
◆今村忠純・大妻女子大教授(日本近代文学)の話「昨年10月には雑誌のこまつ座25周年特集で対談し、『こまつ座で、じっくり脚本を書いていく』との話が印象的だった。あらゆる領域で活躍され、何十人かかってもできない仕事量をこなした。小説と戯曲が両輪になり、読み物に大きな価値を与えた」
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